高橋力 自己紹介
教室用のブログをはじめました。
ここではギターに関しての情報について書いていきたいと思います。
まずは当教室講師 高橋力の自己紹介でギターを始めたきっかけや
教室を始めたきっかけなどを書いていきます。
ギターを始めたきっかけ
ギターを始めたきっかけはあまり覚えていませんが(笑)
大体12歳頃、小学6年生くらいだったと思います。
兄が弾いていた・・・というより弾かなくなって押し入れにしまってあったアコースティックギターを
引っ張り出してきて触り始めたのがきっかけでした。
ピアノを習っていた(習わされていた)のもあって
なんの抵抗もなく自然と触るようになっていたかもしれません。
仲の良い友人がアコギを弾いているというので一緒に練習したりして。
「将来はギターでテレビに出るんだ」なんて話していたような気がします。
漠然とその時から自分はギターのプロとして生きていくんだ。
そう思っていました。
それから間も無くエレキギターを買ってもらいました。
楽器屋ではなく・・・ダイクマ。
やっすいギターですがとりあえず弾ければよかったし
アンプも入れて15000円くらいだったように思います(笑)
そのころはビジュアル系バンド全盛。
L'Arc〜en〜CielやGLAYなどのバンドが活躍していましたので
ひたすら好きな曲をコピーしていましたね。
練習方法はあまりわからず、でも楽しく弾いていたように思います。
友人と即席バンドを作って
通っていた塾が主催する音楽祭に出たこともありましたね。
出来はあまり良くなかったように思いますがひとまず形になってホッとしました。
図らずも厚木高校へ進学したことがその後の人生に大きく影響したかもしれません。
ポール・ギルバートとの出会い
高校に進学してから同じクラスにハードロック、ヘヴィメタルが好きな生徒がいて、
たまたま貸してもらったテープ(古い!!)がポール・ギルバートのバンド・レーサーXでした。
借りパクしましたね。ええ(笑)
というか、そんなに好きならあげるよって言われましたね。
ポール・ギルバートの演奏はとにかく衝撃的で。
速すぎて聴き取れませんでした。
何をしてるんだこれは・・・ギターなのか?
そんな感じ。
そしてかっこいい。
ヘヴィメタルの速い曲を聞いていると夜落ち着いて寝られる。
そんな変な高校生でしたね。
それからはポールギルバートの曲をひたすらコピーする日々。
速く弾けるように毎日ひたすら練習していました。
今でもこの経験があってよかったなあとしみじみ思います。
漠然としていたプロの夢はこの頃はっきりとしてきていました。
それと、厚木高校の伝統で毎年文化祭のテーマソングを決める投票があるんですね。
その当時、軽音部はなかったんですが、バンド活動とオリジナル曲制作は盛んで
校内それぞれのバンドが作った曲の中から投票で選ばれると
文化祭の開会式で演奏できるというイベントのためにみんな頑張ってました。
オリジナル曲を作る土壌があったのはとてもよかったかなと。
残念ながらテーマソングを取ることはできませんでしたが
人気投票で決まる後夜祭に2回出演できたことは思い出深いですね。
1000人くらいは見てますから。なかなか度胸がありましたね昔は(笑)
厚木高校の軽音楽部が現在全国大会の入賞常連なのも、
この伝統があったからだと思います。
もう少し早く軽音楽部ができて欲しかった笑
クラシックギターを始める
MI JAPANを卒業後、母親がもらって来たクラシックギター 教室のチラシ。
これから勉強のために始めてみようかと軽い気持ちでクラシックギター を弾くことになりました。
またまた人生を大きく変えるとも知らずに・・・(笑)
最初はエレキギターとクラシックギターの違いに戸惑いました。
構えは違うし、右手はピックではなく指弾きだし、
タブ譜ではなく五線譜だし、アクセントは違うし、
音は汚いしで先生には散々に言われましたね(笑)
でも辞めなかった理由は一つずつ成長していくことが楽しかったし、
一人で演奏する楽しさが自分には合っていたのかもしれません。
もちろん一人で弾く難しさもひしひし感じていました。
お金を貯めてハリウッドへ留学する予定でしたが
クラシックギターの先生からスペインの話を
聞いているうちにいつの間にか真逆の方向
スペインに興味を持ち始め、
スペインに3ヶ月いくことになりました。
海外に出るということはとても刺激になり物の見方が変わったように思います。
スペインの観光地も大体は見ることが出来ました。
マドリッド、アランフェス、グラナダのアルハンブラ宮殿、白い家の街、
バルセロナ、ヴァレンシア、セビージャ、巡礼路の終着点サンティアゴ・デ・コンポステーラ。
スペインものを弾くときに今でも色々情景を思い出します。
短い期間ではありましたが多くのことを学びました。
その後、運よくコンクールで入賞することができ、
そこから一つクラシックギター で演奏する仕事が入りました。
市役所でのロビーコンサート。
10分ほどの演奏で、曲は
アルハンブラの思い出(タレガ)
プレリュード5番(ヴィラ=ロボス)
を演奏しました。
初舞台は緊張であまり上手くいかなかったように記憶していますが
ギターを演奏する仕事を頂いたことで、ここからエレキギターではなく
クラシックギターでの活動にいつの間にかシフトしていきます。
コンクールで知り合ったギタリスト達と演奏活動を始め、
ギターで少しでも仕事ができればと思い、24歳でTritoneギターウクレレ教室を開校しました。
右も左もわからず、とりあえずホームページを作ってみて、
手探りで指導方法を少しずつ体系化していきます。
ウクレレもこの頃から独学で勉強を始め、ジェイク・シマブクロの曲などを弾いていきました。
順風満帆かと思われましたが、
20代後半は人生ドン底に落ちていきます・・・。
20代後半はドン底
演奏活動を始めて数年が経った頃から段々と人前で演奏することが苦痛になっていきました。
活動し始めの頃から緊張で指がうまく動かない、夏でも演奏前に手が冷たくなる、前日眠れない、など
極度の緊張に悩まされていたのですが、ギターで仕事ができる事の方が優っていたので
気合いで乗り切っていましたが、ついに限界がきてしまいました。
練習にも身が入らずただ時間がすぎるだけの毎日。
本当に1日が長い。
早く1日が終わらないかなーと毎日思ってました。
完全に病んでますね。
そこで一度演奏活動を辞め、もう一度始めからやり直す決断をします。
練習やフォーム、レパートリーの見直し。
そして一番の転換点は瞑想との出会いでした。
瞑想と聞くと「この人アヤしいな」と思われるかもしれませんが
全くそんなことはなく、
いわば「集中力を磨くテクニック」だと思ってもらえばいいかと思います。
一番有名なのが呼吸に集中することでしょう。
スペイン滞在時に師事していたフラメンコギタリスト、ホアン・デ・ウエルバの
「瞑想をしてから演奏のパフォーマンスが上がった」という話を思い出して
これに賭けてみようと思い、少しずつ瞑想を始めることに。
最初はうまくいっているか半信半疑でしたが、
如何に自分が演奏中に集中していなかったかわかるようになりました。
今では実体験を生かしてメンタルトレーニングのワークショップを開いています。
本番への考え方が変わるだけでこんなに人生が変わるのかとしみじみ思います。
30代は変化を求める
30代になってやっと演奏する楽しさがわかってきたように思います。
音楽で人と繋がる縁を感じられるようになってきました。
「音楽の共有」をコンセプトに教室運営も行っています。
これからの時代は色々と変化の激しい時代になると思いますので
常にギタリストとして、人として多くのことにチャレンジして変化していきたいと思います。
食生活での変化といえばヨーグルトを毎日食べるようにしたところ、
風邪を全くひかなくなりました。
年に1度は3日ほど寝込んで時間を無駄にしていたのが嘘のようです。
生徒さんにヨーグルトいいよ! と勧めています(笑)
これから始めたい趣味としては弓道と茶道。
日本の文化を深く知るとともに精神的な面を見つめ直していけば
将来的に音楽に良い影響が出てくるはずです。
以上で自己紹介とさせていただきます。
長文を読んでいただきありがとうございました。